二巡目の西国三十三霊場・・・ゴール 2015年12月 2010年1月1日 那智山 青岸渡寺/那智山寺 ・・・・・ 6年を要した。毎日が日曜の日々なのに。 |
▲ 琵琶湖疏水/ インクライン跡(京都府京都市) |
西国三十三霊場、2巡目のゴールを〝清水寺〟とした。 ゴールへの到達は〝京都〟、青春期から児童期に過ごした場所を逆順で辿ることにした。 立命館大学広小路学舎が設置されたのは、1901年。 敷地に余裕がなく、1981年に金閣寺近くの衣笠キャンパスへ全面移転・学舎統合となった。学び舎は いまはない。 洛東中学校・清水小学校は〝小中一貫校〟となっている。 中学校の敷地に新しく建設された〝東山開睛館 (京都市立開睛小学校・開睛中学校)〟。ややこしい文字だ。めへん、画竜点睛の〝睛〟(セイ・ショウ・ひとみ)。 学び舎は すっかり形が変わり、在校当時の面影はない。 かろうじて高校だけは残っている。 すこしばかり寂しさを感じながら、変動期を生きてきたのだと思いながらの2巡目のゴールとした。
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いささか感傷気味な気分で、六波羅蜜寺から清水寺へ。喫茶店の張り紙に「誠に勝手ながら、11月 産休させて・・・12月は様子を見ながら開店・・・」に思わず温かみが。 〝六道珍皇寺〟あったのかなぁと立ち寄り。 六道とは、地獄道・餓鬼道・畜生道・修羅道・人道・天道の六冥界をいい、人は因果応報、死後はこの六道を輪廻転生するという。知らなかったなぁ。 清水寺の参道に入って驚いた。ビンビン耳に届くのは日本語とは異なった響き。大きな声が交差する。 和服姿のカップルがアチコチに。似合うなぁ京都には。 OH! 家族揃って和服。小学生くらいの3人の子どもの和服姿は いいもんだ。さすが京都だ・・・と感慨に耽っていたら・・・アレアレ 聞こえてくるのはビンビンと届いた同じ言語(と思う)。 ゆっくりと周囲を見渡すと「日本人の方が少ないような錯覚」に襲われる。響いてくる声のレベルでは、間違いなく日本語が少ない。日本語が届いてこない。 清水寺界隈は小学校時代の遊び場。寺名の由来となった清水がこんこんと流れる「音羽の瀧」。プールなどなかった時代だから、ここは恰好の水遊び場だった。 長蛇の列が続いていた。 納経帳に寺院をいただく寺務所で「清水育ち、ゴールを清水寺にした」ことを触れると、「満願の証」の印を取りに行かれた。ありがたくいただいた。さすがにこの場所だけは、日本語以外は聞こえなかった。 |
▼東山開睛館(京都市立開睛小学校・開睛中学校) 校舎の写真は京都市教育委員会のサイトより借用 | ||
▼補陀洛山 六波羅蜜寺 | ||
▼大椿山 六道珍皇寺 | ||
▼音羽山 清水寺 | ||
← のマークをクリックしていただきますと、2015年11月(京都府)琵琶湖疏水通船・毘沙門堂・今熊野観音寺 につながります。 |
【旅のデータ】 |
① 自宅 ⇒ 補陀洛山 六波羅蜜寺 ⇒ 大椿山 六道珍皇寺 ⇒ 音羽山 清水寺 ⇒ 自宅 |