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仙洞御所・大河内山荘 200911


▲ 仙洞御所
すこしばかり細かく書くと、左の写真は「京都御苑:仙洞御所前」、ポインターを置くと入れ替わる写真は「仙洞御所跡」が正しいのだろうか。
京都にある宮内庁管理の施設を訪ねようと、この春にスタート、今回が4つ目のファイナルになる。

参観許可通知を持って、仙洞御所の入り口へ行くも、門は閉ざされたまま。皇宮警察のパトカーに聞くと、もうひとつ北の入り口へと。そこは「大宮御所」 入り口になるんだけど。

1854年(嘉永7年)の大火で消失。上皇も女院もおられなかったこともあり、造営されないまま今日に至っている。
仙洞御所との名前は耳にしていたものの、「皇位を退かれた天皇の御所」・「消失」・・・今回 初めて知った。
二つの茶室(醒花亭、又新亭)以外に、御殿等の建物とともに、東側南北に展開する雄大な庭園が、往時の面影を残している。

作庭は、作事奉行だった小堀遠州によるものだそうだが、改修・拡張等により、遠州当時の遺構は、南池東岸に僅かに残っているに過ぎないという。
北側の部分(大宮御所)は、天皇皇后両陛下や外国元首が入洛された際の宿舎として用いられている。
仙洞御所の庭・・・「どこを撮っても 絵になる」。
しかしながら、ボクたちの腕では、その見事さ・素晴らしさを完璧に伝えることは不可能と言い切れる。
はいチーズ!。記念写真が無難なようだ。

もうひとつ、行っておきたい紅葉のスポットがあった。
往年の名優「大河内傳次郎」。いまは使われることがない “銀幕の大スター” が、34歳から30年の歳月をかけて造営。
東に“嵐山”、西に“保津峡”、遠く“比叡山”を借景にしたこの山荘は、もともとは荒地。
傳次郎は、儒学者の娘であった母親の影響もあって、敬虔な仏教信者でもあった。仏教書をひもとき「南無阿弥陀仏」を唱えながら、この広大な和式庭園を自ら設計した。

多額のギャラは、その大半が 山荘造営に費やされたという。
1962年
(昭和37年)満64歳で逝去。「いい意味での役者馬鹿」凄いパワーで生き抜いてきた「人生の剣豪」だと思う。このスケールの俳優は、それ以前にも、その後 現代に至るまで、現れていない。
姓は丹下、名は左膳・・・なんですか 丹下左膳って?。そう言われそうな時代ですが。

▲仙洞御所 ▲仙洞御所 ▲仙洞御所 ▲仙洞御所
▲仙洞御所 ▲仙洞御所 ▲仙洞御所
▲仙洞御所 ▲仙洞御所 ▲仙洞御所
▲大河内山荘 ▲大河内山荘 ▲大河内山荘 ▲仙洞御所


【旅のデータ】
@ 奈良 → 仙洞御所高瀬川二条苑(昼食)大河内山荘 → 奈良


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