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洛北 200611
▲ 圓光寺/曼珠院

いままで、一度も買ったことがない『京都本』。ズラリと並ぶ本屋さんの棚・・・時には手にとって立ち読みはするものの、「あぁこんな角度から撮ってる」とか、「この写真はキレイすぎる」とか。
京都を離れて40年。JRの広告「そうだ、京都へ行こう」が魅力的に響き、故郷との思いよりも、訪ねてみたい古都の印象が強まった。だから、もう『京都本』を買ってもいいだろうと。たった1冊の本を買うのに、アレコレと理屈をつけて、・・・あぁ、しんど。

比叡山の麓で紅に染まる名庭を訪ねる』・・・こんなタイトルのページ。
修学院離宮→
赤山禅院 → 鷺森神社 → 曼珠院 圓光寺 → 野仏庵 → 詩仙堂
アレアレ。このコースで実際に行っていたのは、詩仙堂のみ。これで京都生まれとは恥ずかしい限り。赤文字の史跡を散策しました。


赤山禅院 赤山禅院 ▲赤山禅院 曼珠院
▲曼珠院 ▲曼珠院 ▲詩仙堂 ▲詩仙堂
▲詩仙堂 ▲圓光寺 ▲圓光寺 ▲圓光寺

赤山禅院
比叡山の西の裾野に建つ赤山禅院は、延暦寺の塔頭のひとつ。創建は仁和4年(888)。
天台座主の安慧(あんね)が、天台宗の鎮守神として赤山明神を祀ったのがはじまりとされる。
京都の寺院の中では、小振りな感じ。毎年11月は、「もみじ祭」。参道には露天が並び・・・と案内されていたが、数店だけ。「静か」と見るか、「寂しい」と感じるか・・・複雑なところ。
曼珠院
1108~9年の平安後期、学僧 忠尋座主が住持のとき、比叡山西塔北谷にあった「東尾坊」が、「曼珠院」と、称されるようになった。現在の地に移ったのは、それから550年後のこととか。江戸時代初期の代表的書院建築で、その様式は、桂離宮との関連が深い。
「書」や「障壁画」に興味のある方にとっては、松花堂昭乗や狩野探幽の筆になる重要文化財がゾクゾクあって興奮できるが、趣を異にするものには、「う~ん サッパリ判らん」となってしまう。
詩仙堂
曹洞宗本山「永平寺の末寺」だとは、手渡させたパンフレットを見るまで、知らなかった。凹凸窠
(おうとつか:でこぼことした土地に建てた住居)の一室を詩仙堂ということも、今回 知った。前回ここを訪ねたのが、いつだったかは記憶に残っていないが、園水を利用して竹に水を溜め、その重みで音を発する「鹿おどし」の、コーンと高音の響きだけは、強い記憶として残っている。
紅葉の名所。いっぱいの観光客。鹿おどしの音色は、人の歩き・話声にかき消されていた。五月下旬の「さつき」の季節も避けて訪ねるのも、いいような気がする。
圓光寺
現在の一乗寺小谷に移ってきたのは、1667年のことだとされている。340年前だから、千年の都にしては、古顔にはならないのだろう。
1601年、徳川家康は 京都伏見に圓光寺を建立し、学校とした。僧俗を問わず入学を許したというから、家康って教育改革の先達だったのかな?
庭園には、水琴窟やく栖龍池(洛北でもっとも古い池)など名高いが、ここの素晴らしさは「紅葉そのもの」。シーズンにはライトアップされ、幽玄の世界を見せてくれるが、訪ねてくる人が少ない 朝一番(午前9時)も、味わいのあるひとときの感じがする。(シーズン中のライトアップは午後9時まで)



【旅のデータ】
① 奈良 → (第二京阪) 赤山禅院 曼珠院 詩仙堂圓光寺 → (第二京阪) → 奈良

「ヤバイなぁ」と思いながらも、今回は車で入った。この季節の京都、電車の利用が安全だ。こんかいも、渋滞がきつかったら戻る覚悟ででた。赤山禅院のパーキングに留めることができたが、これはラッキー。後は、歩け歩けである。土・日になると、車を留めるところが見つからない。
京都の南北の移動は、地下鉄がお奨め。東西の移動は、タクシーかバス。京都は「流しのタクシー」があるので、基本的には、最寄りの地下鉄駅→寺院がいいだろう。


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