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灘黒岩水仙郷・高田屋嘉兵衛公園 20051
▲ 灘黒岩水仙郷 / 高田屋嘉兵衛公園

淡路島の南端、標高608m諭鶴羽山。海に続く45度の斜面7haに、500万本の水仙が群生するという「灘黒岩水仙郷」。満開となっていた。
45度の傾斜に いささか躊躇いを感じたが、この傾斜は立ち入り禁止の区域。つづら折の散策路は整備されているし短い距離だから、10分もあれば展望台につく。「なぁんだ」と、ものたらない感じ。

ゆっくり散策しても、1時間もかからない。「淡路人形発祥の地」に向かった。石碑が1つあるだけ。後の建物は「団地の集会所風」。閉まっていた。
こんなの 観光案内図に入れないで!よ。

淡路人形浄瑠璃館。平日だったし、観客は3家族のみ。人形の解説は親切だったし、「触ってみませんか」は、嬉しい気配り。国指定重要無形民族文化財。大鳴門橋記念館の中にあります。
見た演目は、「傾城阿波鳴門(巡礼歌の段)」。ソートーな悲劇なんだけど、暗い話になる後半はカットされていた。人情話と浄瑠璃の響き・・・不思議に迫ってきますね、胸に。

高田屋嘉兵衛公園。廻船問屋でロシアとの民間外交に功績があった人。ウェルネスパーク五色のメイン施設。ここには、ログハウスや温泉、宿泊施設もあって、ちょっといいところ。


▲ 灘黒岩水仙郷 ▲ 灘黒岩水仙郷 ▲ 灘黒岩水仙郷 ▲ 灘黒岩水仙郷
▲ 淡路人形発祥の地 ▲ 万福寺 ▲ 鳴門岬 ▲ 淡路人形浄瑠璃館
▲ 慶野松原 ▲ 慶野松原 ▲ 高田屋嘉兵衛公園 ▲ 高田屋嘉兵衛公園

高田屋嘉兵衛 (たかだや かへい)
作家 司馬遼太郎は、嘉兵衛をこよなく愛し、小説 『菜の花の沖』 (文芸春秋社:文庫本:全6巻)を書いています。
また、NHK放送開始75周年記念ハイビジョンドラマでは、竹中直人が主演し、その波乱に満ちた生涯が描かれています。
(パンフレットの原稿から)
嘉兵衛は、明和6年(1769年)、淡路島五色町の貧しい農家の長男として生まれました。幼い頃から海に親しみ船を愛したか兵衛は、やがて優秀な船乗りとなり、西廻り(日本海)航路で交易する廻船問屋として、海運業に乗り出します。

函館に地歩を固めた嘉兵衛は、幕府の要請を受けて、エトロフとクナシリ間の航路を発見したり、新たな漁場を開くなど、北方の開拓者としても活躍しました。
嘉兵衛が北方で活躍していた頃、通商交渉の「もつれ」に端を発した双方の誤解から、ロシア船のゴローニン艦長が幕府警備隊に捕らわれるという事件がおこりました。

副艦長リコルドは、艦長の消息を聞きだそうと偶然近くを通りかかった嘉兵衛の船を捕らえ、カムチャッカへ連行抑留します。
囚われた嘉兵衛とリコルドは同じ部屋で寝起きし、「一冬中に二人だけの言葉をつくって」交渉、この両者の信頼関係が、ついにゴローニン釈放に至る両国の和解を成し遂げました。

晩年は淡路島にもどり、港や道路の改修など、郷土のために力を尽くし、文政10年(1827年)、自宅で静かに その生涯を閉じました。



【旅のデータ】
@ 第二阪奈 → 阪神高速 → 明石海峡大橋 → 南淡路IC → 休暇村 → 灘黒岩水仙郷淡路人形発祥の地万福寺 → 休暇村南淡路 (泊)
A 休暇村 →
大鳴門橋記念館(うずしお科学館・淡路人形浄瑠璃館)慶野松原ウェルネスパーク五色/高田屋嘉兵衛公園 → 帰宅

休暇村南淡路には、15年前に宿泊。南館は全面リニューアル中で、2005年5月26日からオープンとなる。その後 宿泊した館が解体、2006年に全館リニューアルが完成する。
淡路島南端まで行くとなると、「渦潮クルージング」も見所のひとつ。今回は、時間が合致しなかったので見送った。見頃の時間は「ジョイポート南淡路」(福良港より出航)のホームページが見やすい。
ホームページ http://www.uzu-shio.com/ → 「潮見表」
(このページの確認 2005年1月24日)


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