メンバー(7名)のまとめは、実に平凡であり、シンプルだった。
しかしながら、そのまとめは、いままでの常識を、根本的に覆すものでもあった。
この実践研究が始まった頃、ダンボールが教室に登場することは、ほとんど稀であった。
稀な例を見ても、「机の上サイズの工作」 であり、身体を越える(使う)サイズで、「遊び」
や 「お祭」、「イベント」を創る(盛り上げる)材料として、活用されるのは、この実践以降である。
昭和58年度(1983)には、教科書にも登場した。工作の領域を越え、「ダンボールプレイ」 の呼び方が、広まっていった。
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世紀教育の会から依頼をうけて制作に入った千代田紙工業のプロジェクトチームは、最初は大きなとまどいを見せながらも、各先生方の意見をたくみに身につけていった。
どのように考えていったのかを、彼らのリポートから見ると
【千代田紙工業チームの報告から・・・一部抜粋・・・】 鎖国の時代から近代国家へ・・・・・一斉画一教育の果たした実績を評価しながらも、増大する歪みが発生、教育の抜本的変革が必要だと、亀田佳子先生のお話は激しい口調で始まりました。このゲームに挑戦し、勝ち抜く(成功する)ためには その内容を、ごく簡単に言いますと
※ 教え込み型 → ※ 自ら学ぶ自主自立型
への転換が必要であり、それは21世紀に現れる高年齢化社会を生き抜くための何よりも必要だ、ということです。
21世紀とはずいぶん先のことを・・・と私たちは感じましたが、数えてみれば 「あと24年」。私たちも生活しているでしょうし、私たちの子どもが、世の中へ船出する頃だと判ると、急に身近なものとなってきました。
知識の必要性、教え方がどう変わらねばならないか、知恵の育成・知性の確立・・・と話はつづき、個人にとっても、社会の要請から見ても、生涯教育はどうあるべきか・・・まで話は拡がりました。
その中でとりわけ必要なことは
※ 創るという知恵・工夫、そして喜びを通して、自己決定ができること
※ 創り上げた(成功した)経験を深めながら、「生きてゆく逞しさ」「七ころび八起き」を養うこと
だと、話されました。
そして、この教育の場は、従来の詰め込みの教育ではなく、 「オープンエデュケーション」 に組み入れられ、開かれた・そして空間利用が柔軟な教室だと言われています。
つまり、「創る」 「オープンエデュケーションスペースに
※ 手軽に切ったり折り曲げたりできる
※ 絵を描いたり、紙を貼ったりできる
※ 軽い・固くない材料だから、あばれても傷がつかない
※ 大きなものが作れるので、遊べる・使える
※ 処分に困らない
といったダンボールだは、好ましい材料だと言う訳です。
今回のテーマを担当した私たちメンバーは、良い意味でも悪い意味でも、高度成長・使い捨て時代・受験競争で育っただけに、一種の驚きがあったことを正直に報告しておきます。
教育理論については、21世紀教育の会の月例研修会で、思わぬ報告を受けました。
東洋大学教授の恩田彰博士が、「創造教育の基本的問題点」 のテーマの中で、知識教育から、知恵創造教育への移り変わる必然性と、その進め方が詳しく報告されていました。
恩田先生のお話を、ごく簡単に要約して図解したものが、右図です。
具体的な 「見方」 は、次のように変わることが大切であると。
※ できあがったものから見る見方
↓
※ 創り出すプロセスから見てゆく見方
同じ創造性を持つと思われる図画と工作を比べても
※ 図画を描かせる・・・でき上がりでの評価・・・技術面・・・高知能型から
↓
※ 工作をさせる・・・過程での評価・・・ 創造面・・・高創造型へ
ウエイトをかけてゆくべきであると。
社会学者の加藤秀俊先生(学習院大学教授)からお伺いしたお話は、実に愉快だった。
先生は、19世紀の日本と欧州を比較されながら、この時点での日本の教育は、欧州よりも進んだものであることを、文字をかける人の比較をされた。
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江戸時代の寺子屋
子やらいの考え
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明治維新以降
今日まで続く教育形態
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これから必要な教育
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個々の能力を引き出し
不足分を助ける
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一斉画一、
知識を詰めてゆく
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個々の才能を引き出し
創造性を持たせる
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先生は助言者
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先生は機関車
生徒をひっぱってゆく
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先生は助言者
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生徒に自立心が生まれる |
生徒に依頼心が抜けない |
生徒に自立心が生まれる |
このような背景を持って今後は、いかにして 知的好奇心 をひきおこさせ、育ててゆくかを、真剣に考えてゆこうとのことである。
親や先生は、「教育・生活で、挑戦欲を育ててやるような罠をしかける」 ことが必要だと。
巨大なものへの挑戦の罠をしかけてみる。
例・ 畳1畳分くらいの画用紙を与える (A4・B4からの挑戦)
・ 時計・・・徹底的に分解させ、組み立てさせる (知的達成感)
ダンボールを利用する場合のイメージが私たちの中で、徐々に輪郭をはっきりさせてきたように思える。
このような勉強や体験を通して、千代田紙工業のプロジェクトチームは、
(1) 自ら、遊びを発見できるようにする
制作品は、あくまで一つの例にすぎない
(2) 4〜5人で協同して作る
(3) 身体を使って挑戦する
として制作に入ったと聞いています。
もう少し、彼らのリポートから引用をすると
制作にあたって、特に注意したことは次の2点。
・特殊な冶具や工具は使わないこと
・ジョイントについても、特殊なものは使わないこと
これは、幼稚園で・学校で、先生と生徒が楽しくつかうための条件と思えたからです。
思わぬ強さの発見もあり、失敗もありました。
「ずべり台」 の上板が、1枚のダンボールで耐えられるとは考えてもみませんでしたが、補強なして、立派にその役割を果たしました。思わぬ成功です。
「とまり木」 は、座ると同時に壊れました。失敗でした。
制作の場へ、5歳の幼児が遊びにきてくれました。「8角のドラム」 では夢中に遊んでいました。「ずべり台」
での冒険をしました。「ジャンプクッション」 で、飛び跳ねていました。
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このような制作を通して、ダンボールが教育現場で使えるといわれた亀田先生のお話が、確信となって深まってゆきました。
私たちが今日まで追い、学んだ結果は平凡ですが、次のようにまとめることができます。
(1) ダンボールの持つ柔らかさは、身体を激しく動かす遊びの中では、傷がつかない優しさである。
(2) ダンボールの持つ簡単な加工性と、小さすぎもせず、大きすぎもしない特性は、協同制作に都合のよいものであり、必然的に、仲間意識、絆を育てる。
(3) ダンボールの持つ中間的な特性は、造形にも・色を付けるにも・紙を貼るにも好都合であり、生活周辺の最寄りの材料として創造学習に適した材料である。
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