制作のねらいと背景・・・ダンボールプレイのはじまり |
「壊せるゾ!」。子どもたちの興味は大きく膨らんだ。やがて「神輿」のように担ぎ始めたとき、歓声は一段と大きくなった。 プロジェクトメンバーには、壊されたことの残念さよりも、「おっ、ここだな!」と、これからの展開を暗示させる予感がみがぎった。ダンボール「プレイ」・・・その名前が誕生した。 |
21世紀教育の会から依頼をうけて制作に入った千代田紙工業のプロジェクトチームは、最初は大きなとまどいを見せながらも、各先生方の意見をたくみに身につけていった。 どのように考えていったのかを、彼らのリポートから見ると 【千代田紙工業チームの報告から・・・一部抜粋・・・】 鎖国の時代から近代国家へ・・・・・一斉画一教育の果たした実績を評価しながらも、増大する歪みが発生、教育の抜本的変革が必要だと、亀田佳子先生のお話は激しい口調で始まりました。このゲームに挑戦し、勝ち抜く(成功する)ためには その内容を、ごく簡単に言いますと ※ 教え込み型 → ※ 自ら学ぶ自主自立型 への転換が必要であり、それは21世紀に現れる高年齢化社会を生き抜くための何よりも必要だ、ということです.。 この単純なゲームは、子どもたちを夢中にしたようだ。 ぐらぐらする面白さや、ひっくりかえり。ダンボールだから、頭をぶつけても傷をすることはない。思い切って挑戦できるプレイだった。 このゲームは、子ども同士の仲間づくりの大きな助けになり、クラスがさらに明るくなったと担当教師は話している。 このために、教材として集めたダンボールは全て壊れてしまい、また集めるのがたいへんだったという。 担当した教師が、「ほんとに面白かった。また やるのよ」 と話したとき、ピンとくるものがあった。 これをうまく組み合わせると、 * 子どもたちの挑戦する心と、 * 仲間同士のふれあう心、 * そして、創造する心を はぐぐむのではないか・・・・・と。 21世紀教育の会では、この話をダンボール会社に勤めている会員(和人・正会員)に話し、協力を求めた。 幸い、会社(千代田紙工業株式会社)の協力が得られ、特別に編成されたプロジェクトチーム7名が、21世紀教育の会の意図をもと幸にして、数種の作品を創りだしてくれるまでに作業は発展した。 この作品を、港区立三光小学校(柳下校長)の二年生のもとへ届けたとき、子どもたちのプレーイする心は、最大の反応を見せた。 子どもたちの喜び方も、私たちの予想を大幅に越えたが、もっと驚いたことは、この作品を創りだしたプロジェクトの7人が、「創ることが こんなに楽しいものとは思わなかった」 と伝えてきてくれたことだ。 平均年齢が30強の彼らは、一斉画一教育の中で、創る楽しさを十分味わわずに育ったと思われ、今 はじめて創造教育の楽しさ、面白さを味わったのかも知れない。 この報告書は、子どもたちと21世紀教育の会と、30男の集まりが、一人の教師から寄せられた情報をもとに、さまよい、可能性を見つけていった、ほんとうに小さい記録の一つである。 |
メンバーは困った。「何を作ればいいのか」判らないままに・・・。遊具らしきものを作成。 | |||
「ダンボール製だから、丁寧に遊んでくれる」ハズが・・・・・なかった。 | |||
自分の身体より大きなモノが「壊せる」・・・・・子どもたちは夢中になりはじめた。 | |||
壊した遊具を活用しながら、「自分たちの遊び」 をつくってしまった。 | |||
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