三川が合流して淀川になる寸前。木津川と宇治川に挟まれた堤、1400mほどの距離を、そめいよしのが埋め尽くす。いまでは「桜の名所として有名になっているが、1960年頃(昭和30年代半ば)までは、「ここは松並木」だった。
娯楽の王者が「映画」であった時代。松竹京都撮影所・大映京都撮影所・東映京都撮影所が、競って時代劇を “量産” していた時代。各社とも “毎週2本立”の封切だった。
参勤交代であろうと、野次喜多珍道中であろうと、姫様歌う旅日記であろうと、勤皇の志士であろうと・・・・・早い話が、ピーカン(青空)の下 松並木を背景に、毎週のごとく
撮影がつづく。銀幕のスターさんが、河原でお弁当を広げていた時代から半世紀。
松枯れで全滅した堤の樹木は、桜並木となった。
陽の世界が背割堤で撮影されたのと対照的に、三度笠を深めに顔をかくし『おっかさん、おたっしゃで』とか、まぁ今でいう不倫の忍び旅とか、股旅もの・・・情が深く絡む場面の背景になるのが、ながれ橋だ。
橋は、たびたび流れました。
流れてもかまわない、始めから頑丈に造らずに流れたらまた造りなおす・・・橋の構造も、なんと三度笠風なんでしょう。
時代劇の似合うこの流れ橋。全長 356.5m、全幅3.3mの 木造橋。30cm幅の平板が敷き詰められています。今 もです。
歴史的な建造物かと思いますが、1953年の架設とか。たった50年前です。股旅姿なんて、どこにも見られない昭和28年。
時代の一面を鋭く捉えているのかなぁ・・・そこまでは、ちょっと考えすぎかも知れませんが、はしゃげない半日でした。
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