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背割堤・やはた流れ橋 20084
背割橋 / やはた流れ橋

三川が合流して淀川になる寸前。木津川と宇治川に挟まれた堤、1400mほどの距離を、そめいよしのが埋め尽くす。いまでは「桜の名所として有名になっているが、1960年頃(昭和30年代半ば)までは、「ここは松並木」だった。

娯楽の王者が「映画」であった時代。松竹京都撮影所・大映京都撮影所・東映京都撮影所が、競って時代劇を “量産” していた時代。各社とも “毎週2本立”の封切だった。
参勤交代であろうと、野次喜多珍道中であろうと、姫様歌う旅日記であろうと、勤皇の志士であろうと・・・・・早い話が、ピーカン(青空)の下 松並木を背景に、毎週のごとく 撮影がつづく。銀幕のスターさんが、河原でお弁当を広げていた時代から半世紀。
松枯れで全滅した堤の樹木は、桜並木となった。

陽の世界が背割堤で撮影されたのと対照的に、三度笠を深めに顔をかくし『おっかさん、おたっしゃで』とか、まぁ今でいう不倫の忍び旅とか、股旅もの・・・情が深く絡む場面の背景になるのが、ながれ橋だ。
橋は、たびたび流れました。
流れてもかまわない、始めから頑丈に造らずに流れたらまた造りなおす・・・橋の構造も、なんと三度笠風なんでしょう。
時代劇の似合うこの流れ橋。全長 356.5m、全幅3.3mの
木造橋。30cm幅の平板が敷き詰められています。今 もです。

歴史的な建造物かと思いますが、1953年の架設とか。たった50年前です。股旅姿なんて、どこにも見られない昭和28年。
時代の一面を鋭く捉えているのかなぁ・・・そこまでは、ちょっと考えすぎかも知れませんが、はしゃげない半日でした。


流れ橋 流失 流れ橋については、「やはた流れ橋交流プラザ四季彩館」の資料を参考にしました。
1961年6月 梅雨の豪雨で 1982年8月 台風10号で 1992年8月 台風11号で 1997年7月 台風9号で
1972年7月 7月の豪雨で 1985年6月 梅雨の豪雨で 1993年7月 7月の豪雨で 2004年8月 台風11号で
1974年7月 7月の豪雨で 1986年7月 梅雨の豪雨で 1994年9月 台風26号で  
1976年9月 台風17号で 1990年9月 台風19号で 1995年5 5月の豪雨で  

▲背割堤 ▲背割堤 ▲背割堤 ▲背割堤
▲背割堤 ▲背割堤 ▲背割堤 ▲背割堤
▲やはた流れ橋 ▲やはた流れ橋 ▲やはた流れ橋 ▲やはた流れ橋


【旅のデータ】
@ 奈良 → 背割堤やはた流れ橋 → 奈良


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