広島大本営跡
明治27年(1894)8月に日清両国に戦端が開かれたのち、それまでに山陽鉄道が開通していたことや、宇品港を擁するといった諸条件により、同年9月広島市に大本営が移されることとなり、広島城内にあった第五師団司令部の建物が明治天皇の行在所とされ、ここに大本営が設けられた。
明治天皇の広島滞在は、同年9月15日から翌年の4月27日までの7か月あまりに及んだ。その後、建物は大本営跡として保存されたが 原爆により倒壊し、いまは基礎石のみ残されている。
「広島」と「戦跡」と言えば、すぐに浮かぶのが「原爆ドーム」。「平和大通・平和記念公園・広島平和記念資料館・原爆の子の像・平和の灯・原爆戦没者慰霊碑」・・・太平洋戦跡を物語る多くの施設が整備されているが、日清戦跡を物語るのは、この1枚のプレートだけなのかな。
ドームから北へ約800mの広島城跡に、プレートがあった。大本営が広島にあったことを初めて知った。敗戦の戦跡は派手に、勝戦の戦跡はひっそりと・・・国粋主義者ではないが、この落差に
ふと疑問を感じた。宇品港から艦船に乗せられ、大陸に散った英霊たちの碑は どこに祀られているのだろう。
もっともらしいことを記したが、自分の生活に戦跡はない。2000年11月の広島への旅で、原爆ドームや資料館を回ったが、書籍や百科事典を見ているようで、戦跡を実感として受け留めることはなかった。
「不届きな理解だ!」と叱られるかも知れないが、戦跡が実感となるような社会には戻ってほしくないな。
日差しの強い千光寺・広島城跡を散策しながら、内戦のある国のことが、不可解に思えてしかたがなかった。
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